灰色の日々(2)効果と副作用
数年前、二日酔いで歯医者に行った。
下の奥歯の治療中、年配の医者は、ラバーのようなものを奥歯に掛けて治療を始めようとした
二日酔いで鼻が通りにくかった上に、ラバーが息を殆ど通させない。数分もしないうちに息が詰まり、ギブアップの手を上げて、ラバーを外してもらってうがいをした。
「先生、このラバーをしないと駄目なんですか?」
不信感を持ちつつ聞いてみた。
「はい、詰め物を落として喉の方に行くとまずいので……」
「そうなんですか……」
(落とさなければいーだろ!)
歯医者は何度も行っているが、ラバーをされたのは初めてだった。耐えようと頑張ったが、息苦しさでパニックになり、数分でギブアップした。
「駄目です! 体調が悪いんで出直します!」
治療を中断して予約をずらしたが、その歯医者には二度と行かなかった。
それから何度か歯医者に行った。イヤイヤだったが、行けない程に不信感を抱くことは無かった。
今年の春、上の奥歯に、ぽかりと穴が開いた。
しばらく放置していたが、以前ほっておいて根元まで悪くなり、抜く羽目になったのを思い出した。ネットで歯医者を調べて、仕事場近くの歯医者に行った。
『患者様とちゃんと打ち合せの上、治療を進めます!』というスローガンの通り、奥歯の治療は、ぼったくられることもなく、滞りなく終わった。
だがその後、あちこちいじり始めた。
特に悪いと思っていないところを掘っては埋めて、数千円取られた。
殆ど説明の無い治療が三回続くと、不信感は大きくなった。咬み合わせもイマイチ調子が良くなかった。
四回目には行くのが嫌になり、五回目には椅子に座った途端に昔のラバーの苦しさを思い出して帰りたくなった。
その次には、道すがら動悸が激しくなって帰りたくなった。
「先生、今日で治療を終わりにしてください」
「えっ、今日ですか? まだこっちが終わってないけどな。分かりました」
一体、何処が終わっていないのか、さっぱり分からなかったが、治療は無事に終わって晴れ晴れとした気分だった。
だが、咬み合わせの影響は夏の終わり頃に出て来た。前歯の横の歯が3ミリ程掛けてしまったのだ。
アマ◯ンで歯医者用の接着剤で止めたが、噛んだ時に下の歯が当たるとポロリと落ちた。
それから一ヶ月後に、上海土産の白うざきキャンディーをむしゃむしゃとやっていたら、上の奥歯の詰め物が取れて、ぽっかりと穴が開いた。
(あのやぶ歯医者め、ぐちゃぐちゃ治療をしたくせに、なんでこんなことになるんだ!)
理不尽な恨みを募らせつつも、接着剤ではどうにもならない。
ネットで『歯医者、怖い』と調べるも、出てくるのは無痛歯科で麻酔をしますというものばかりだ。
(行く前が怖くて、治療が始まればなんとかなるんだけどな。そうだ、心療内科とかで薬を出してもらったら良いか!)
心療内科は行ったことは無いが、歯医者でパニックになったトラウマで、行くのが嫌になるのだから、それをなんとかしてもらえれば良いはずだと考えた。
ネットで調べたが、歯医者が怖くて心療内科に行った事例は見つからない。
(このまま放置しておけないし、行ってみるか)
ネットで開業したばかりの心療内科を見つけて、数日後に行った。
歯医者でパニックになったことと、歯医者に行くとドキドキすることを伝えた。
「先生、ドキドキが治まれば良いんですけど、薬でなんとかなりませんか?」
先生は初老だが優しい感じだった。
「そうですねぇ、その症状は、予期不安と言うもので、これは薬ではどうにもならないんですよ」
薬で一件落着という甘い算段はガラガラと崩れた。
「どうにもならないんですか……」
「いえ、治療法はあるんですが、一年掛かる人もいるので、気長にやるしか無いんです」
「一年ですか?」
この穴凹を、一年もほおって置くわけには行かない。
「予期不安の原因はパニックだったと思います。パニックは脳内のセロトニンが不足すると起きやすいんですよ。なので、それを増やす薬を飲んで、パニックを抑えます。そうですね。一ヶ月くらい飲んで、軽い治療、例えばクリーニングに行ってみるのはどうでしょう?」
一年は待てないが、一ヶ月なら大丈夫だ。
「分かりました。では、それでお願いします」
「そうしたら、パキシル十ミリを一週間出しますね。眠くなるので、夜飲んで下さい」
「え? 夜はちょっと」
夕飯は晩酌と同時なので、いつも薬を飲むタイミングを失してしまって、ほぼ忘れてしまう。内科で貰っている薬も、夜の分は貯めすぎて止めてもらっていた。
「朝では駄目ですか?」
「そうですね。運転などしなければ大丈夫だと思います」
結局、朝、薬を飲むことになった。
一週間が終わって、薬は二十ミリグラムに増えた。それを二週間続けて三十ミリグラムに増やした。最終的にはこの三十ミリグラムが適量らしい。
それを一週間飲んで、ついに歯医者に行くことにした。
たまたま知り合いが、自分の仕事場近辺で行った歯医者が良かったと聞いていたので、そこに決めてネットで予約を取った。
そして、歯医者に行く日はついにやってきた。